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■ ほとり

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ぴくしぶ

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2024/11/27 (Wed)

ざれごと。

つれづれなるままに書き散らす妄想と空想と幻想。
思いついたところから書いてるから文節がバラバラである。

1.
エロ前提で考えるからダメなんだとお叱りを受けたので、
プラトニックから考えなければならないだろう(エロ厨になんてご無体な)。
 恋愛感情を認識してしまった時点ですでに理性的とはいえないのではないかと思う。
 好きな相手に触れたいとか食べたいとか思うのは本能的な欲だ。
羞恥からそこへ発展しない場合はもはやプラトニックとはいえない。願望が身の内に芽生えた時点でその精神は汚れてしまっているからである。
 それを禁じるということは何か他の確固たる信念があるのではないかと
私は考えた。それが信仰なのか崇拝なのか庇護なのか、はたまた無知な私ごときには思いつきもしない理想があってのことなのか分からない。
 だが少なくとも恋愛という見地からすると程遠くある存在なのではないだろうか。そう考えると「プラトニックラブ」というのはあまりにも矛盾した言葉であるように思える。
 しかしそれぞれの「愛の形」というものがある。それが表現方法の違いのことをいうのであれば、そもそもの欲の出どころが別なのではないか。
好きだから手を出すのではなく、理屈抜きの興味で手を出したくなってそれから感情に明確な名前を付ける。そしてその名付け親は自分以外にいないからとりもなおさずそれに寛容な語意を持つ「愛」と付けてしまう。
 愛は「恋愛」の一部だが、そこには欲の成分が多く含まれている。
その欲こそがプラトニックか否かの違いであり、私好みのケガレであると思う。

2.
要するに性的にそそる情欲がなければ私は愛が感じられない。

3.
月並みな話だがそれこそ究極の愛なんて「人それぞれ」だ。

4.
人に惹かれるのには理由が無い。目につきやすい悪意が少なければ残りは好意として処理されるだけであり、加点に見せかけた減点方式で人を見ているに過ぎない。

5.
 相手が自分に手を出さないことに不安を覚えるのは女の理屈だろうか。
 BL同人誌でもしばしば見られる描写ではあるが、それはいささか受根性が甚だしく感じられる。しかし愛し合う関係にあれば触れたいと思うし、触れられたいとも思うのも事実。だが何の疑いも無く受け身の姿勢でいる様はまるで平安の通い婚のごとしである。攻から行動を起こして当然と思っているうちは幸せな結末に繋がるフラグが見えない。
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2011/07/18 (Mon) 日々 CM(0)
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